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2011年06月01日

福間健二のエッセイ1

わたしたちの仕事

 
 1995年、最初の劇場映画『急にたどりついてしまう』をつくったころ、ぼくは女優志望の吉野晶と出会った。いつかぼくの映画に出てもらいたいなあ、と話していたが、そのチャンスがなかなか来なかった。
 2007年、前作『岡山の娘』の企画がもちあがったとき、最初は鈴木一博の撮影で、吉野晶にも大きな役で出てもらうつもりだったが、実現しなかった。吉野晶は、ヒロインの母親の遺影で、写真だけの出演となった。
 2010年7月、鈴木一博とキャノンEOS 5D MARKUのムービー機能を使って作品をつくろうという話になり、一気に企画がすすんだ。
 吉野晶主演。まず、これが決まった。吉野晶を撮る。ついにそれが実現する。宿題だらけの人生で、ひとつ大事な夢をとりかえしたという気がした。
 あとは、順番がはっきりしないけど、首都大学東京の教室で出会った小原早織と、ライヴに何度も行ってファンになっていた歌手の鈴木常吉に出演依頼。かつての教え子で『急にたどりついてしまう』にも参加していた編集の秦岳志にも声をかけた。
 親友のアメリカ文学者千石英世が、首都大学東京に非常勤で教えに来ていた。初めから魂胆をもって、その授業を「見学」した。予想を上まわるおもしろさだった。彼に出てもらい、その授業を作品のなかで再現しようと思った。
 もともと、首都大学東京には、撮りたい場所がたくさんあった。
 主要キャストが決まり、大学の授業を入れることにしたというあたりで、作品の大枠が見えてきた。8月に撮るということから「夏」という主題も浮かんできた。外国人に対して日本人の「わたしたち」、死者に対して生きている者の「わたしたち」、そしてひとりだけで生きているわけじゃない「わたしたち」。そういうことを思って、『わたしたちの夏』というタイトルにたどりついた。
 ただ超低予算だからというわけでなく、自分のまわりにある、いいなあと思っているものは、遠慮なく使わせてもらうというやり方。それしかないと決めていた。
 まず、首都大学東京(学長室)とぼくの属する人文社会系表象言語論分野の協力をとりつけ、学生、同僚、友人たちから協力者をつのっていった。
 脚本づくりには、雨宮史崇と西野方子をはじめ、学生スタッフがアイディアを出してくれた。どうなるかわからない未定の部分をたくさん残した脚本である。
 撮影は、驚きの連続だったというべきか。まず、カメラと彼自身が一体化するような鈴木カメラマンの集中力に感動した。そして、出演者たちは、吉野晶も、小原早織も、鈴木常吉も、カメラの前に立つと、ふだんつきあっているのとはちがう面がどんどん見えてきた。そうなのか。そうなるのか。そういう感じで撮影していった。
 そして、秦岳志との、ドキュメンタリーの秀作を手がけてきた彼とでなければできなかったにちがいない編集作業。1月に次の作品『あるいは佐々木ユキ』の撮影をやったということもあるが、あせらずに、いいかたちが徐々に姿をあらわしてくるのを待った。
 世界は、3・11以後という時間に入っていた。そのころから小川武さんに加わってもらって、音の組み立てを最初からやりなおした。そこで、ぼくは、耳をすましながら見つめるのが監督の仕事なのだと、大発見でもしたように興奮して学びなおした。
 生きていること。その大切さ。作品の全体がそれを確かめようとしている。
 そういう、ぼくひとりだけではない「わたしたち」の思いのつまった作品になったと信じている。
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