監督は、自分が映画批評家でもあり映画作家でもあると自己言及しながら、9・11以後の世界で映画をつくるということがどういうことなのか、語り始めます。
まず始めに、ここで『わたしたちの夏』は9・11を意識しながら撮影し、さらに編集の段階では3・11を経験した映画だったと、監督自身によって位置づけられました。9・11や3・11−−それがなにものなのか意識することは難しいと監督は言います。「この映画の中には、9・11について語る人々がたくさん出てきます。そしてそれぞれがいいことを言ってるけど、それは絶対ではない。それは簡単には言えないこと。また簡単にはその後の世界や社会がどう変わったのか、つかむこともできない。だからひとつの意見に回収されず、ひとつの物語にも整理できないものを描こうとするときに、映画が最適な方法だと感じました。千景の生きた10年から9.11後の10年を浮き上がらせようと思いました」。
さらに監督は、『わたしたちの夏』について既に指摘されているゴダールとの近さについて触れながら、次のような認識を示します。「ゴダールは1960年以来、政治的な主題を映画に引き寄せてきた。でも彼は一時期アラブとパレスチナの解放運動に少しだけ関わりを持った他は、ほとんど直接的な政治行動とは関わっていない。自分はコミットはしていないけど、それを表現することの自由を教えてくれた。それが僕が知ったゴダール的方法」。

監督は、映画を個人的なことに還元するのではなく、映画における物語を世界や社会に展開していく映画の方法の起点を『市民ケーン』に見出します。そして最終的に1960年という映画の転換年をこう読み解いてみせます。「『市民ケーン』はフロイト的少年期・幼年期のトラウマを、ドキュメンタリー的な手法を交えながら、アメリカ、資本主義といった解ききれない問題に広げていく。ヌーヴェルヴァーグはそれでいいのか、と、そういう文学的物語に異議を唱えるものだったと思う。『大人は判ってくれない』の男の子は大人に『僕はかわいそうでしょ、社会が悪いと思うでしょ、判って下さい』とは言わない。判ってくれないと言う。それは決定的な立場だと思う」。
監督は、サキの造形は、そんなヌーヴェルヴァーグの試みの延長線にあるということを承認しながら、「サキはつらいけど、リストカットもしないし、グレたりもしない。自分をコントロールする。でもそれがやがては千景のような誰かを救っているという物語にしたかった」と語りました。『わたしたちの夏』における監督の狙いは、社会や世界の問題によって映画を解釈するのではなく、まるで正反対にあくまでも映画の問題のために政治をたぐり寄せるということにあったのでしょう。だからこそ監督は、これが個人を描こうとしながらも、監督個人の映画ではなくて、スタッフ映画であることを強調します。そして、〈福間健二の映画〉を自己批評するかのように、監督は「従来の物語映画と違う方法でやろうと挑戦する。自分の方法を超越したことをやって、なおかつそれが福間健二の方法で映画になっているかどうかが評価されるだろう」と言いました。
監督は、昨年度の印象深い映画に『アメリカ 戦争をする国の人々』(藤本幸久監督)、『月あかりの下で-ある定時制高校の記憶-』(太田直子監督)、『LINE』(小谷忠典監督)などのドキュメンタリー作品が多かったことに触れながら、これからの映画製作の展望を次のように語りました。
「事実性をつきぬけて『ほんとうのこと』に向かっていく映画が必要な気がします。劇映画、ドキュメンタリーを超えて、事実性や物語や主題に現前する、現実を生きる人間を捉えること、その皮膚に向き合うことが重要です」。
最後に監督は「自分の映画をみるのが好きだ」と言いました。「自分の映画なのにまだ発見がある」と。監督の映画製作には、編集や自ら作品を何度も見ることを通じて、「映画とは何か」を追認し、さらに「まだ見ぬもの」へ向けて思考していくような独特のスタンスがあります。そして、それこそが、あるいは一番ゴダールに近いところなのかも知れません。つまり私たちは、こうした福間健二の姿勢に、ゴダールがあの途方もないフィルム『映画史』のなかで自問する言葉の連なりを、思い出してもいいのではないでしょうか。
映画とは何か? 何でもない…
映画とは何を語るのか? すべてを…
映画に何ができるのか? 何かが 絶対的な何かが…
映画は思考の方法だった。それを忘れている
思考がフォルムをつくり、フォルムが思考する
真の映画とは まだ見ることのできない映画
宣伝スタッフ 河野まりえ
写真撮影 酒井豪