今日のトークゲストは『歓待』が、昨年の東京国際映画祭で、ある視点部門作品賞受賞された映画監督の深田晃司さん。
深田監督は「映画芸術DIARY」の企画で金子遊さんとともに福間監督にインタビューをされたことがあり(http://eigageijutsu.com/article/222053348.html)、『わたしたちの夏』はそのときDVDで一度観ていただいただけでした。今回初めて劇場で鑑賞されて、深田監督は開口一番「映画館で見るべき作品だと思いました」とおっしゃいました。
「福間さんの映画の魅力というのは、人物やもの、風景などの被写体と言葉がポンポンと置かれていって、その全体が物語に従属していないところです。そうした要素を結びつけていく作業は、鑑賞しながら観客がやる。でもそういうバラバラの要素はただほったらかされてるんじゃなくて、「水」が鍵となってつながり、物語の最後が一気に盛り上がるんです」。
深田監督は、『わたしたちの夏』で随所に挿入される水の音、あるいは「水ヲ下サイ」という台詞に着目しながら、ラストシーンでサキが千景にペットボトルの水を手渡すとシーンが如何にしてエモーショナルな力を発揮するに至るかを的確に指摘されます。
福間監督はそれに対し、「この映画はこれまでいろんな受け止め方をされてきたけど、つくってる本人はそんなに難しく考えてやってるんじゃなくて、撮影してるときは風景も人も一番いいものをとらえたいと思ってやっていたし、編集してるときはやっぱりその中から一番いいものをつかまえたかった。物語や主題に隷属させないということはどこかで望んでいたことだったけど、僕としてはそれを目的としてやっていたわけじゃない」と答えます。

深田監督は続いて、『わたしたちの夏』のクロースアップの特徴について言及され、「僕は個人的に説明としてのクロースアップは好きじゃないんですが、この映画の中の千景さんの眼のクロースアップは違う。物質として見せつけられている。そこにこの映画は、ちがう、と感動するんです」と評価されました。さらに、深田監督は映画としての『わたしたちの夏』の構造についてより深く分析されつつ、福間監督にこんな問いかけをします。
「興味深いのは、この映画がメロドラマとしての枠組みを持ちながら、映画のステレオタイプからかけはなれていくということです。その引き離されていく感じが僕は好きでした。映画をつくるときに、やはり物語というものは最初に念頭におかれたのでしょうか」。
福間監督の解答はずばり「おかない」。監督は「物語なんていうのは、映画的な要素、たとえば歌、ダンス、ギャング、裸とかってものをつなげていけば自然に出来上がる。ただ僕はそれを普通のやり方ではやりたくなかったんだよね。たとえば小原早織さんという女優は演出家の意図通りに必ずしもやってくれる訳じゃなかったけど、逆にそれを活かした」とこの映画におけるシナリオの役割が厳密なものでなくむしろ柔軟であることが重要であったことを明らかにします。「自分は人や物に向かいあっていればよくて、カメラマンにうつすことは委ねる。そういうのを積み重ねれば活きてくるものがあると思う」。
福間監督と深田監督は最後に、これまでもトークショーでたびたび議論されてきた「ゴダールとの近さ」に踏み込んでいきます。深田監督が「バスの中の吉野晶さんの顔がすばらしい」と語るのを受けながら、福間監督はこう語りました。「『わたしたちの夏』は『アワーミュージック』の天国に対して、ちゃんと帰ってこられるあの世をつくりあげたかった。吉野晶は彼女なりにのってくれた。僕の作品はゴダールに似ているって言われるけど、それはかつてゴダールがやったことをその後の日本のヌーヴェルヴァーグがやらなかっただけ。僕にとってゴダールは神様みたいな存在ではなくて、女に捨てられたり、女の尻にしかれたりしている一人の男として共感している。カメラマンのイッパクさんもそれを理解してくれた。だからすごく大変なことをゴダールに対抗してやるんじゃなくて、ちょっとこのシーンはゴダールでやってみようか、ってそんなノリで」。

今夜は、二人の監督の饒舌ぶりが冴え渡るトークショーでした。深田晃司監督の『歓待』は、池袋シネマ・ロサで10/29(土)〜11/4(金)に一週間限定でレイトショー再公開されます。未見の方は是非劇場に足を運んで下さい。
公式ホームページは、http://kantai-hospitalite.com/。
宣伝スタッフ 河野まりえ
写真撮影 酒井豪